ほとりのかほり

〜大人も子供も〜

究極の日常『きみの鳥はうたえる』

静雄「金借りなきゃ」

僕「そうか、もう月末か 」

狂おしいほど理解できる。月末になると予想以上に預金残高が減っていることにようやく気づき、「あと何日だから...この日とこの日にデカイ出費があって...」と情けない計算を始め、来月の給料日に思いを馳せる。そんな痛烈なセリフから物語は始まる。

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舞台は函館の夏。郊外の書店で働く「僕」と一緒に暮らす友達の静雄、そのふたりに「僕」と同じ書店で働く佐和子が加わり、3人として夜通し酒を飲んだりビリヤードをしたりクラブで踊ったり...そんな何気ない「日常」の物語である。

日中は書店で無機質的に労働し、彼らはひたすら夜を待って、夜のために毎日を過ごしている。そんな”なんとなく”の流れで身体の関係を持ちはじめる「僕」と佐和子。そのふたりの間で自分の存在を自問する静雄。この映画にはいくつもの『ふたり』が存在し、それぞれがそれぞれを刺激し合い、揺らめき合う。

 

この映画の中では時折、『日常』というものが凄まじく狂気的に”美しく”描かれる。それが顕著に現れているのが、ナイトクラブのシーン。

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劇場で鑑賞するとよく分かるのだけど、あの「クラブの音響」が奇妙なほどダイレクトに観客に伝わってくる。重低音が体の中心の部分にズンズンと襲いかかってくる感じ。高音域がミュートされていることで、踊り狂う3人が楽しそうに見える反面、何となく閉塞感や停滞感が浮き彫りにされている。彼らを待つのは永遠に続く夜ではなく、クラブを出た瞬間に目に入る朝焼けと、仕事と家族と、それを全て引っ括めた現実である。仲間とノリで決めたショットのあとにライムを囓るというディティールも愛おしいけれど、石橋静河のあのノリ方...最高に好きが止まらない。

 

家飲みしてて、深夜に買い出しに行くコンビニの雰囲気も最高だった。店に入った途端3人が散り散りになって、雑誌を立ち読みする者もいればトイレットペーパーを物色する者、酒コーナーへと向かう者もいる。友達の持ってるカゴに勝手に投げ入れたり、レジの前で必要なしに後ろ手組んでクルッと回ったり。普段我々も全く気づかないような普遍的な行動が、溢れんばかりに詰まっているのがこのシーン。炭酸水ってついつい忘れがちになっちゃう。

 

そんな幸せな『普通』はだんだんと形を失ってゆく。あの眩しすぎる朝焼けまで、その時まで踊り続けていられるような生活がいい。